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「あら、ほんとうに沢山とれたんですね」
「相手は誰です?こゝの御隠居ですかい」
河原町の人達は皆自家の仕事をはふり出して川に出ていた。彼等の悉くがこの時期には漁師になつたかのやうであつた。まるで諜しめし合せたやうに同じ麦藁の大きな帽子をかぶつて、白いシャツを着こみ、魚籠びくと追鮎箱とをガタつかせながら、めいめいの家の裏口から河原に現れるのだつた。
読経がはじまつた。皆話をやめてその方を向いて坐り直した。
相手は何か答へたらしかつたが、房一のところへは聞きとれなかつた。今まで静まりかへつて事の成行を見まもつていた人だかりが急にどよめいたからである。そして、柵の向ふでは、相手になつている男のうしろに出張所側の連中がかたまつていた。その長身の男も今更後へはひけないと云つた様子だつた。その時、房一の肩をまだ押へつゞけていた練吉の手が痙攣するやうにふるへた。
「おい、やつは所長だぜ。まだ新任で、来たばかりなんだ。――行かう!」
「困つたもんだね」
「閉口でしたな」
「え」
「すまんでしたな、長話をして」
と、何か威勢よく云ひかけたときだつた。小谷は急に聞耳をたてた。小谷ばかりではない、房一も――半鐘が鳴つていた。たしかに!それは、はじめ三連打を二度ほど、ちよつと途切れ、次には聞えにくいほど鳴り、そして急に勢よくつゞけさまに鳴り出した。ちやうど、それは焔の燃える様子と緩急を合せたやうに、まざまざと目に見せるやうに響いた。
が、今夜は入口の大戸が開け放たれ、土間には打水がされ、眩まぶしいほどの電気で照し出され、絶えず出入りする人の気配と、土間づたひの台所の方から流れて来る何かの匂ひや湯気で温ぬくもつた空気のために、この広い店の間は何年か振りに息をふき返したやうであつた。店の間の突きあたりには美しい紅味を帯びた褐色の塗りのかゝつた造りつけの戸棚が四間の長さにわたつてどつしりと立つていた。それはこの何もない単調な部屋に一層重厚な装飾的効果を見せていたが、その上には更に鍵屋の定紋である下り藤のついた四角な箱がずらりと天井近くを横に並んでいた。それは恐らく提灯を蔵しまつてあるのだらうが、木箱の上に厚い和紙張りを施され、その白地に黒々と染め抜かれた大きな紋はこれ又ふしぎに冴え冴えとした色調を以て浮び上つていた。ふだんは日中でもほの暗く、したがつて一様にうすい埃を被つて沈んでいるこれらの物が、今やいつせいに生き返つたやうに見えた。
「あゝ、さうか。あゝ、さうか」